「死の体験旅行」
この言葉を聞いて
皆さんはどう感じたでしょうか?
これはもともと、海外のホスピス(終末医療施設)で始まったと言われているワークショップ(体験型講座)です。
一般に病院は、怪我や病気を改善し、退院することを目的としています。
しかしホスピスは、安らかに亡くなっていくことを主たる目的としています。
「死の体験旅行」は、ホスピススタッフが死を間近にした患者の気持ちに少しでも寄り添い、最期の日々のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生命の質)を高く保つために開発されたといわれています。
自らが命を終えていく過程を擬似体験し、患者や家族がどのような喪失感を味わっているのか、悲しみ苦しみを感じているのかを体験するワークショップなのです。
僧侶は人の生き死にに関わります
僧侶になって、法事や葬儀にも少しずつ慣れてきたある日、元気だった父が突然に亡くなりました。
それまでも真摯に法事や葬儀を勤めてきたつもりでしたが、身内の死を経験し、気持ちの入り方が変わりました。
しかし人は悲しいもので、どれほど大きな経験でも時がすぎれば思いは薄らいでいきます。
そんな時にこのワークショップの存在を知り、「父が亡くなった時の気持ちを思い出したい、そして亡くなった方やご遺族の気持ちに少しでも近づき、寄り添い、その上でお勤めをさせていただきたい」と思いました。
しかしもともと医療者向けのものですから、なかなか受講の機会は訪れませんでした。
数年後にようやく実施できる方を庵に招き、仲間の僧侶に声をかけ、共に体験しました。
それは鮮烈な体験で、途中からあふれ出る涙を止めることができませんでした。
後日、仲間が書いてくれた体験記を読んだ友人知人、また直接面識のない方など多くの人々から「私も体験したい!」「次はいつやるんですか?」という問い合わせが頻繁に届くようになりました。
「死」なんてものは、一般の方々は考えたくもないのだろう、と思っていましたが、それは違ったのです。
多くの声に押されるようにして、私はファシリテーター(進行役)としての準備を進め、2013年1月より開催するようになりました。
「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり」
明治時代の僧侶、清沢満之師の言葉です。
私たち人間は死を恐れ、死を遠ざけて生きています。
けれど、どれほど目を背けたとしても死は否応なく訪れます。
そこから視線をそらして生きるのか、真正面から見つめるのか。
必ずやってくるものを真摯に見つめることが、より良い生を送ることに繋がるのではないか、そう私は考えています。
「死の体験旅行」にご興味のある方は、下記リンク先の開催情報をご覧ください。
また、ご依頼があれば社員研修や病院の職員研修、出張開催なども承ります。
注:「死の体験旅行」は登録商標です(登録第6003806号)
類似名称の講座・ワークショップにご注意ください